博物館の資料に見る
『
風林火山
』
の世界
3:武田二十四将図
武田家は多くの優れた家臣たちによって支えられていました。彼らはある時は戦場を駆ける武将として、またある時は領国統治を行う官僚として、様々な役割を担っていました。江戸時代になると、「武田二十四将」として数多く描かれ、武士の主従の理想像として広く親しまれました。
高坂弾正、馬場美濃守など名だたる武将たちとともに、山本勘助も二十四将図に登場しています。
最初期の二十四将図
(1)鳥居清信筆 木版丹絵武田二十四将図
(2)紙本著色武田二十四将図
(1)は、江戸時代前期、鳥居清信(1664-1729)によって作られたものです。(2)は、作者は未詳ですが、17世紀後半の作と推定されます。下の段の2列になっている武将たちは、もとは真ん中で別れて上半分の左右につき、横長の絵だったと考えられています。
興味深いのは、両図ともに描かれている武将がほぼ一致しており((2)のうちの1人に名前がないだけ)、その配列も酷似しています。武田二十四将図の構成が、かなり早い段階から定まっていたことをうかがうことができます。
江戸時代中期の二十四将図
(3)武門便幼のなかの二十四将図
「武門便幼」は、『甲陽軍鑑』の内容を、武家の子ども向けに絵入で分かりやすく紹介したものです。巻子仕立てのため、横長の構成となっています。宝暦7年(1757)の作であることがわかっており、制作年代が明確な作例として貴重です。
ページトップへ
錦絵の武田二十四将図
(4)橋本貞秀 甲州二十四将之肖像
(5)歌川芳員 武田二十四将画像
(番外)武田勝頼の二十四将
武田勝頼二十四将図
信玄と勘助が上下に対置するように描かれています。
勝頼の時代の二十四将を描いたものです。勘助はおらず、長坂釣閑、跡部大炊といった勝頼の側近が登場しています。
ページトップへ
ご意見・ご感想
このサイトについて
個人情報保護方針