4:川中島の戦い(1) |
天文22年(1553)から永禄7年(1564)にかけて、武田信玄と上杉謙信は、信濃(長野県)北部を舞台として、5回にわたる戦いをくりひろげました。中でも永禄4年(1561)第4回の戦いは、最も激しい戦いであったと言われ、信玄の弟信繁や、山本勘助も討ち死にしました。
そして、信玄と謙信による「一騎打ち」という伝説が生み出され、様々な書物・絵画などをとおして、現代に至るまで人々に語り継がれています。
信玄と謙信の一騎打ちを中心に、江戸時代に描かれた「川中島の戦い」をご紹介します。 |
|
江戸時代中期に描かれた川中島合戦 |
 |
川中島合戦図
丹絵(たんえ:墨摺(すみず)りに、丹の朱色を主として緑や黄などを筆で彩色した浮世絵)とよばれる技法で作られたもので、信玄・謙信の一騎打ちを描いた浮世絵としては最初期のものと考えられます。信玄は、有名な白い毛の兜をかぶっていますが、袈裟(けさ)は着ていません。 |
|
 |
「武門便幼」の中の一騎打ち
宝暦7年(1757) に成立した「武門便幼」の中にも、一騎打ちのシーンが描かれています。信玄の姿は、上図と同様のものです。 |
|
|
錦絵に見える一騎打ち |
 |
謙信武田ノ旗本へ乱入之図(三代歌川豊国) |
|
 |
川中嶋合戦(歌川国芳) |
|
武田上杉川中嶋大合戦の図(歌川国芳) |
河中嶋大合戦(歌川国芳)
|
 |
武田上杉川中嶋大合戦図(歌川国芳) |
|
 |
甲越川中島大合戦(9枚続き:橋本貞秀) |
 |
甲越川中島大合戦の↑左半分と↓右半分 |
 |
|
 |
川中嶋大合戦之図(橋本貞秀) |
|