「〇〇の手習い」

逸平が「手習い」に励んだことは、多くの伝記が伝えるところであり、晩年になっても、1日にかなりの枚数を日課としていたことが記されています。

そうした精励ぶりのほかにも、『若尾逸平』の後半「逸斎翁逸事」には、多くの関係者が語る逸平の逸話が掲載されています。
そのなかに、侍女が語る逸平についての証言がふたつありますので紹介いたします。

・夏になつても扇子は少許(ちっと)もお使ひなさらず、其癖方々からお頼まれなすつて何千本といふ扇子をおかきになつた。

・手習は如何してあゝまア根が続くかと驚くばかりによくなすつた、手についた墨を嘗めて口を真黒にしてお居でなさるのは珍らしくなかつた。
(表記はママ)

補足をすると、この侍女の証言によれば、逸平は日ごろから「暑い」や「寒い」を言うのを好まなかったようで、本人は暑いのも痩せ我慢しているのに、数多くの扇子に揮毫していたこととなります。

『若尾逸平』の口絵と同アングルの手習いに励む逸平の写真
『若尾逸平』の口絵と同アングルの手習いに励む逸平の写真


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