山梨県立博物館 かいじあむ
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 ■調査日誌ニホンオオカミ頭骨 山梨県立博物館寄託

シンボル展「オオカミがいた山」


-消えたニホンオオカミの謎に迫る-

平成19年2月6日(火)から3月18日(日)まで

常設展観覧料でご覧になれます。
 上の写真は笛吹市御坂町のとあるお宅で近年見つかったニホンオオカミ頭骨です。鼻の部分を中心に、皮と肉がミイラ化して残っている、珍しい標本です。新聞等で話題になったので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。
  シンボル展では、この標本を中心に、近県で見つかったオオカミ頭骨や、貴重なニホンオオカミ剥製、オオカミ信仰に関わる資料などを集め、ニホンオオカミの謎や山梨における人とオオカミの関わりに迫ってみたいと思います。オオカミが山梨の野山を駆けめぐっていた頃に思いをはせてみてください。
  準備のための調査結果をこの場で順次お伝えしていきますので、ご期待ください。また、ニホンオオカミに関する資料や言い伝えをご存知の方は情報をお寄せいただければ幸いです。なお、調査中のため、ここで記載する内容が最終的な展示とは異なる場合もありますので、ご了承ください。                                  文責:植月(当館学芸員)
三峰神社の御札 平成18年10月20日
三峯神社の御札と神犬像

 この日は秩父方面の調査。三峯神社と、オオカミ頭骨を所有されている個人のお宅に調査にうかがいました。

 江戸時代後半以降、三峯講が各地で盛んとなり、甲斐国でも各地に講が組織されました。組内から毎年2人ほど代表者を立て、神社で発行するお札をもらってきてもらうのが一般的だったようです。
 お札には犬の絵が描かれるものもあり、田畑の害獣除けや盗難除け、火災除けの効果があるとされます。御眷属1疋を借りてくることで、50戸の家を守る霊力があると言われます(写真は現在の御札)。
 神社の方からは甲斐における三峰峯信仰にまつわる興味深いお話をうかがうことができました。歴代の山主が残した記録の中に江戸時代、甲斐からの参詣者が遭難したのを助けたという記事があること、江戸時代にコレラが流行した際に甲斐国の住人が三峯のお札で難を逃れたという記録があること、略縁起の中に三峯信仰が甲斐や信濃の山国からまず広まっていったと書かれていることなどです。
 作物を荒らす鹿猪などの害獣に悩まされていた山国の民の間にオオカミの力にすがろうという信仰が広まったのはうなずけます。
 三峯神社の境内には御眷属(けんぞく=神様の使い)であるお犬様の像が10体以上存在します。時間の都合上、すべてを見ることができなかったのが残念でしたが、境内の三峯山博物館で開催中の「お犬様展」ですべてパネルで見ることができました。
 個人のお宅ではニホンオオカミの頭骨を拝見しました。残りの良い標本でしたが、頭から上顎にかけて一部えぐり取られていました。秩父方面ではかつてオオカミの骨の一部を削って憑き物を落とす薬にする風習がありました。この標本の場合は知り合いに貸したところ、一気に削り取られてしまったそうです。
三峰神社境内のお犬様1
三峰神社のお犬様2
東京大学農学部所蔵 ニホンオオカミ剥製
全身は展示室で!
平成18年10月24日
東京大学の剥製

 この日は東京大学農学部所蔵のニホンオオカミ剥製を調査させていただきました。
 ニホンオオカミの剥製は国内では3例しか確認されていません。幸いなことに、今回の展示ではそのうちの2体をお借りできることになりました。1体がこの東大標本、もう1体は和歌山大学所蔵標本です。貴重な標本の貸出を許可してくださった東京大学農学部と和歌山大学教育学部に感謝したいと思います。ちなみにもう1体は国立科学博物館所蔵で、現在同館の常設展に展示されています。
 この東京大学の標本は岩手県産だそうです。実物を拝見しての感想はまず第一に小さいということでした。数値としては頭に入っていても、やはり実物を見ると違います。ニホンオオカミの大きさは中型の日本犬程度とされますので、無理もないのですが。しかし、犬に比べるとやはり牙が大きく、額のくぼみが弱いので、野生的な迫力があります。
  平成18年11月7日
丹沢周辺のオオカミ頭骨
 丹沢山麓も多くのニホンオオカミ頭骨が残されている地域です。これらは憑き物落としや魔除けなどの民間信仰に関わる遺物です。今回は厚木市と清川村の5軒のお宅を訪問し、展示のための調査をさせていただきました。
 あるお宅では資料が入っていた箱に、「嘉永八年」(1855。実際には安政二年)の墨書きがあり、さらにその裏に「三峯」の文字が書かれてました。正確な年代がおさえられる点も貴重ですが、「三峯」の文字は特に注目されます。
 オオカミの頭骨を家に置くという習慣が広い範囲で見られるのは何らかの民間信仰が広まったためだと考えられます。また、秩父調査に関連してご紹介したように、江戸時代後半から三峯神社、あるいは青梅市御嶽神社などのオオカミ信仰が広まります。両者の間には何らかの関連があると推測されますが、上記資料はこの問題を解く鍵となりそうです。
現在の十里木峠付近
現在の十里木峠付近。かつてここにもオオカミが生息していた。
十里木の関所跡
十里木の関所跡。『日本産狼の研究』にも写真が掲載されているが、景観は一変していた。
平成18年11月10日
静岡県裾野市の調査

 裾野市の富士山資料館には、富士市のお宅に伝わるニホンオオカミ頭骨が展示されています。由来については詳しいことはわからなかったのですが、資料館の方が所有者の方にお聞きした話では、頭骨を神棚に上げておくと、子供の夜泣きが直ったそうです。実は御坂のオオカミについても所有者の方から同様のお話を伺っています。類例が見つかったのは収穫でした。
 オオカミが捕獲されたのは富士市勢子辻付近と伝えられますが、十里木峠を越えて御殿場で鎌倉往還を北に向かえば御坂方面、そのまま東に進めば、多くのオオカミ頭骨が残る足柄方面、さらには前回の厚木方面へとつながっており、オオカミ信仰はこうしたルートを通じて広がったのでしょう。
 なお、十里木峠では別のオオカミ捕獲例があることが直良信夫著『日本産狼の研究』に記されています。神奈川県山北町のお宅に伝わるこの資料は、ご先祖が戦国時代(天文年間)に武田の軍勢から脱走した帰路、十里木峠付近で狼群に襲撃され、斬り殺したうちの一頭だということです。山梨にもゆかりのある資料です。

表面に細かい削り跡が多数みられる。

表面に細かい削り跡が多数みられる。

神社に奉納された狼の絵。

神社に奉納された狼の絵。

陣羽織に描かれた狼の絵
陣羽織に描かれた狼の絵。

平成18年12月8日
狼の絵

 今回は埼玉県長瀞町周辺を訪れました。
 最初の目的地では頭骨の調査を行いました。残りの良い標本なのですが、ほぼ全面的に表面を少しずつ削り取った跡が見られます。狐つきなどを落とすために貸した際に薬として削られてしまったものです。色の違いで削った跡がわかってしまうのを隠すため、墨が塗られているところもあります。
 狼関連資料を収集されている方に様々な資料をお借りすることもできました。真ん中の写真は明治36年(1903)に長瀞町内の神社に奉納された狼の絵です。直良信夫博士により、実際にニホンオオカミを見たことがある人物が描いたのではないかとされた資料です。
 下の絵は陣羽織に描かれた狼の絵で、珍しい資料です。耳が立っている点など、上の絵よりさらに写実的です。年代は江戸時代以前と推測されますが、明治末期よりは絵師が狼を目にする機会がさらに多かったことによるのでしょうか。
 これらの資料も展示予定ですので、ご期待ください。
和見の集落
和見の集落
上野原市王勢籠(おうせろう)神社 里宮
里宮
お犬様(オオカミ)のお札
お犬様(オオカミ)のお札
平成18年12月24日
王勢籠神社

 県外の調査が先行していましたが、今回は県内では数少ないお犬様の神社である上野原市王勢籠(おうせろう)神社を訪ねました。  神社は和見集落の人々により管理されています。案内をしてくださったのはかつて神主を務めていた家系の方で、屋敷があった場所の一角に写真の里宮があります(奥宮は権現山の山頂付近)。  毎年5月にお祭りがあり、その際にお犬様のお札が配られます。お札は火災、盗難を除け、田畑を害獣から守るとされています。案内の方のご記憶では戦後間もない頃までは近隣の村から多くの人がお札を借りにきたそうです。山村のため害獣除けが主だと思ったのですが、桑の葉泥棒を防ぐため、桑畑にお札を立てる場合が多かったそうです。出征の際にお守りとして持って行く人もいました。  特徴的なのは御眷属であるお犬様の数が75頭にものぼることです。そのため、かつてはお祭りの際に75個のお供え物を用意したそうです。  日本武尊を祀っている点は秩父・三峰神社や奥多摩・御岳神社と共通しており、日本武尊の道案内をしたオオカミの伝説が御眷属信仰の元になっています。お宅で拝見した江戸時代(天保年間)と明治時代の寄附台帳には郡内地域の各地のほか、神奈川県の津久井郡の村名が見られ、広い範囲から信仰を集めていたことがわかりました。今後さらに詳しく調査していく予定です。


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