■展示構成と主な資料
※会期中、展示替えを行います。前期・後期展示の期間は以下のとおりです。
【前期】7月16日(土曜)〜8月8日(月曜)
【後期】8月10日(水曜)〜9月5日(月曜)
※展示資料および展示期間の詳細については、出品リストをご参照ください。
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【第一章】病は、いつの時代も、身分の貴賤なく、人々を襲う。 |
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はしか童子退治図(和田コレクション)
【後期展示】
歌川芳藤(1828-87)による浮世絵。現在ではワクチンによって予防が可能な麻疹(はしか)も、江戸時代には疫病神によってもたらされる病とされ、神仏の力によって防ぐことができると信じられていた。中央で眠っているのは酒呑童子(しゅてんどうじ)になぞらえられた麻疹童子。雲に乗った素戔嗚尊(すさのおのみこと)の指揮により、厩の桶・角樽などが縄によって麻疹童子を取り押さえ、刀を抜いてその首をはねようとする様子を描いている。また左下の薬種が彼らを制止しようとしているのにも、ある寓意が込められている。
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開運麻疹疫病神除之伝(和田コレクション)
【前期展示】
歌川芳艶(1822-66)による浮世絵。中央に座る恰幅のよい人物は疫病除けに効験があるとされた牛頭天王(ごずてんのう)であり、その前に座らされているのは麻疹の神である。麻疹にかかったある人が、剣を抜いた牛頭天王が異形の者2人を追い払ったという夢をみたという逸話を記し、疫病神が牛頭天王に手形を差し出す様子を描いている。文久2年(1862)に麻疹が大流行した際に描かれたものと考えられる。
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白澤之図(和田コレクション)
白澤(はくたく)は中国の想像上の神獣。徳の高い支配者に対して助言を授けるとされ、病魔を退ける力をも持つと考えられたことから、江戸時代には疫病除けの画題として広く知られるようになった。人気漫画に登場する人物のモチーフとされたことから、近年再び知名度が高まっている。 |
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【第二章】東から西から〜医術の伝来 |
依ト加刺得私(ヒポクラテス)之像(和田コレクション)
【前期展示】
坪井信道(1795-1848)賛、川原慶賀(1786-?)筆。古代ギリシャの医師で「医聖」とも呼ばれるヒポクラテス(紀元前460頃-紀元前375頃)の肖像画。ヒポクラテスは呪術的・古典的な医術を脱して経験と観察からなる医療を重視したとされ、伝説上の名医としてあがめられた。また医師の倫理性を強調したともされており、その名は「ヒポクラテスの誓い」という宣誓文にも残っている。
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三喜直指篇(医学文化館)
【前期展示】
室町時代後期を代表する医師田代三喜(たしろさんき、1465-1544)の著作。三喜は遣明船に乗って中国で医学を学び、帰国後は故郷の武蔵川越を拠点に関東一円を往来して庶民の救済に務めた。三喜の教えは弟子の曲直瀬道三(まなせどうさん、1507-94)らに受け継がれ、のちに「後世派」と呼ばれる一派をなしていく。 |
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南蛮直伝金瘡外科一流序(和田コレクション)
【後期展示】
戦国時代にポルトガル・イスパニアなどから日本に伝わった、いわゆる南蛮流の医術書。金瘡とは外傷およびその治療法のことで、戦争が日常的に行われた戦国時代には金瘡医術が飛躍的に発達することになった。
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【第三章】医は仁術〜和魂漢才・和魂洋才の医 |
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新宮涼庭薬箱
新宮涼庭(しんぐうりょうてい、1787-1854)が用いていた薬箱。涼庭は広島で古方、長崎で蘭方の医術を学び、京都に医学所・順正書院を開いた。「医は仁術なり、人を活かすを以て目的となす、仁心ありと雖も、しかして術拙ければ、則ち誤って人を殺し、仁医たるを得ず」(『鬼国先生言行録』)と、医師としての精神と技術の尊重を説いた。蘭方医術の影響を強く受けた涼庭らしく、この薬箱には医術において「自然」の「運行」を重視するという文言が螺鈿細工で刻まれている。 |
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薬看板「黒鬼」(和田コレクション)
熊膽木香丸という薬の広告用の看板。熊膽(ゆうたん)や木香(もっこう)は漢方薬の呼称で、健胃や整腸、止痛などの効果がある。二つの薬を用いていることから、「鬼に金棒」をモチーフにしたものとみられるが、看板として強調したい薬の効き目の強さとは裏腹に、この鬼は困ったような、何ともいえない表情をしている。腹痛から連想される鬼とも何か関わりがあるのだろうか。 |
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解体新書(和田コレクション)
前野良沢(まえのりょうたく、1723-1803)・杉田玄白(すぎたげんぱく、1733-1817)らによる翻訳書。ドイツ語の原書をオランダ語に翻訳したものを、さらに良沢らが日本語に翻訳したもの。図版は秋田藩士で洋画家として知られる小田野直武(おだのなおたけ、1749-80)が担当している。西洋の解剖学説の概要を日本で初めて紹介した書籍であり、蘭学興隆のさきがけとなった。 |
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【第四章】近代医学と仁 |
ポンぺ講義録(和田コレクション)
【後期展示】
オランダ軍医ポンぺ(1829-1908)による講義録。ポンぺは長崎の医学伝習所で医学を講じ、松本良順(まつもとりょうじゅん、1832-1907)、佐藤尚中(さとうたかなか、1827-82)らを育てた。また「ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである」と、医師としての心構えを説く言葉を残している。 |
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ウィリアム・ウィリス肖像
イギリス公使館付きの医師ウィリアム・ウィリス(1837-94)の肖像画。ウィリスは1861年に来日し、幕末の激動のなかで医療活動を続け、戊辰戦争では横浜の臨時軍陣病院や東北地方の前線で傷病者の治療にあたった。その後明治政府のもとで医学教育に従事したが、政府がドイツ医学の採用を決定すると鹿児島に移り、西南戦争後に帰国した。
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【第五章】現代の医 |
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3Dプリンター臓器モデル(TBS)
3Dプリンターによってつくられた肺の模型。近年の技術の進歩により、臓器のようすが立体的に把握できるようになった。臓器の内部をめぐる血管まで再現され、手術の手順確認や外科医のトレーニングなどがより効率よく行われるようになっている。 |
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【特別映像】 |
会場内に「鉄拳シアター」を設置、
オリジナルパラパラ漫画を上映します!
そして、入口でみなさまをお迎えするのは…
あの方です。乞うご期待! |
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【同時開催!】シンボル展「近世甲州医人伝」 |
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江戸時代、甲斐国にも、人々の命を救うため、自らの持てる力を尽くした医師たちがいました。戦国時代以来、甲斐国に根付いていた伝統医術は、やがてオランダ語学習に基礎づけられた先進知識と融合し、より幅広い人々の命を救う力になりました。また、医師たちは諸国を遊学し、さらに自らの得た知識や技術を後進に伝え、医師たちによる「知のネットワーク」は全国に広がっていきました。特に種痘の普及にあたっては、この医師たちの絆が大いに力を発揮し、多くの人々を天然痘の恐怖から救ったのです。そのような近世甲州の医術を担った人々を、多様な資料からご紹介します。
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鍼灸説約(国府村辻家文書)
石坂宗哲(いしざかそうてつ、1770-1842)の著書。宗哲は江戸の鍼医で、幕府医官を務めた。寛政9年(1797)には幕命により甲府に医学所を設け、医師の養成に尽力した。のちに奥医師として将軍徳川家斉の侍医となっている。蘭方と漢方の折衷的な医学を追求し、多数の医学書を残している。また、オランダ商館長の江戸参府に随行したシーボルト(1796-1866)に自身の著書と治療用の鍼一式を贈り、その技術はヨーロッパにまで伝えられた。
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廣瀬元恭肖像(甲州文庫)
廣瀬元恭(ひろせげんきょう、1821-70)の肖像画。元恭は代々医師を務める藤田村(現南アルプス市)の廣瀬家に生まれ、江戸の蘭学者坪井信道(つぼいしんどう、1795-1848)のもとで学んだ。弘化元年(1844)、京都に私塾時習堂を開き、陸奥宗光・佐野常民・田中久重らを育てた。医学のみならず理学、兵学などに通じており、多数の著書や翻訳書を著している。また嘉永3年(1850)には京都から藤田村の兄平五郎に牛痘痂を送り、甲斐における種痘の普及にも務めた。 |
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モーニッケ肖像(村松家資料)
ドイツ人でオランダ軍医を務めたモーニッケ(1814-87)の肖像画。弟子の村松岳佑(むらまつがくゆう、1822-68)筆。天然痘ワクチンとして牛痘を用いた種痘法は、18世紀末にイギリスのジェンナー(1749-1823)によって開発されたが、日本への導入はなかなか進まなかった。モーニッケは嘉永2年(1849)に佐賀藩主鍋島直正の要請により初めて日本への牛痘痂の招来に成功し、こののち種痘は急速に日本全国へ広まっていった。なおモーニッケは聴診器を初めて日本に紹介したことでも知られている。 |
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村松岳佑種痘道具(村松家資料)
村松岳佑(1822-68)が用いた種痘の道具。岳佑は医術を古市場村の大久保章言に学び、のち長崎に出てモーニッケの弟子となった。嘉永3年(1850)、牛痘痂を長崎から甲斐の内藤泰順や大久保黄斎らに送り、その後自身も甲斐に戻って継続的に種痘接種を実施した。本資料は岳佑が用いた種痘の道具であり、これにより多くの人々が天然痘から守られたのであった。 |
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■「近世甲州医人伝」オリジナル電話メモ |
シンボル展「近世甲州医人伝」の主役たちが、あなたの大切な伝言をお手伝いします!
ダウンロードはこちらから(pdf、約2.08MB)。 |
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■関連イベント |
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記念講演会
「医は仁術」展の監修者のおふたりに、展示に込めたメッセージを語っていただきます。
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■演題・講師
「『医は仁術』について」
鈴木一義氏(国立科学博物館産業技術史資料情報センター長)
「山梨の医学史」
酒井シヅ氏(順天堂大学特任教授)
■日時
平成28年8月6日(土曜) ※終了しました。
13時30分〜15時30分
■場所
生涯学習室
※事前のお申し込みは不要です。
※聴講は無料です。
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ギャラリートーク
担当学芸員が展示の見どころを解説します。
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■日時
平成28年7月24日(日曜)、8月7日(日曜)、8月28日(日曜)、9月4日(日曜) ※終了しました。
いずれも15時から(60分程度)
■場所
企画展示室
※事前のお申し込みは不要です。
※企画展観覧券をお求めのうえ、企画展示室入口にお集まりください。
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「医は仁術」展ゆかりの地ツアー(「かいじあむ検定」事業)
蔵のある町・市川大門で、山梨出身の蘭学者・廣瀬元恭や、天然痘から人々を救った村松岳佑の足跡を訪ねます。また、ツアーに先立って学芸員が展示の見どころを解説します。
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■日時
平成28年7月30日(土曜) ※終了しました。
受付:15時 出発:15時30分 終了:17時30分
■集合場所
JR身延線・市川本町駅
(※駐車場はありませんのでご注意ください。)
■参加費
500円(保険代・ガイドブック代)
■募集人数
20名
■主催
つなぐNPO
■お問い合わせ・お申し込み
080-1223-8302(つなぐイベント係)
※当日の展示の見どころ解説は11時からとなります。企画展観覧券をお求めのうえ、企画展示室入口にお集まりください。
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かいじあむ寄席
笑うことは健康にもよいといわれています。江戸を舞台にする落語には、お医者さんに関するお話もたくさん。夏ならではの怪談も交えて、かいじあむで寄席を開きます。みなさんも思いっきり笑ってみませんか?
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■日時
8月11日(木曜・祝日) ※終了しました。
13時30分〜15時
■出演・演目
椿じゅう亭とっと娘「やかんなめ」
それっ亭どーで生「さらやしき」
こっこ亭かたくりこ「骨つり」
美紀亭狸腹「振り込め!」(作・桂三風)
墨亭河童「転失気」
■協力
山梨落語研究会、にらさき落語会
※事前のお申し込みは不要です。
※参加は無料です。
かいじあむ寄席ちらし(PDF:0.6MB)
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かいじあむ子ども工房
聴診器を作って、いろんな音を聞いてみよう!
身近な材料を使って、お医者さんみたいな聴診器を作ってみよう!
どんな音が聞こえるかな?
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■日時
8月13日(土曜) ※終了しました。
10時30分〜15時(所要時間10分程度)
■場所
ロビー
※事前のお申し込みは不要です。
※参加は無料です。
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特設かいじあむ子ども工房
このホネ、何のホネ?
動物の骨格標本に実際に触れてみよう!
形の違いから、どんな生活の違いが見えてくるでしょう?
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■日時
7月30日(土曜)
※終了しました。
8月21日(日曜) ※終了しました。
@11時〜12時、A14時〜15時
■場所
体験学習室
※事前のお申し込みが必要です。
(県立博物館 055-261-2631)
※各回定員20名(先着順)。
※参加は無料です。
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「医は仁術」展ミニ展示
「医は仁術」展の見どころを、県立図書館へ出張してご紹介します。
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■日時
8月9日(火曜)〜19日(金曜)
※日程が変更になりました。
※終了しました。
■場所
山梨県立図書館(甲府市北口2-8-1)
※観覧無料 |
かいじあむ古文書講座
医に関する古文書を読む
医術、医療、医師…江戸時代の医に関する古文書をいっしょに読み解きましょう
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■日時
7月23日(土曜) ※終了しました。
8月27日(土曜) ※終了しました。
いずれも13時30分〜15時
■場所
生涯学習室
※事前のお申し込みが必要です。
(県立博物館 055-261-2631)
※参加は無料です。
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■「医は仁術」公式ガイドブック |
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「医は仁術」公式ガイドブック
155頁
2,000円(「おでかけ用おくすり袋」つき)
ご好評につき完売しました。
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■「近世甲州医人伝」リーフレット |
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「近世甲州医人伝」リーフレット
A4版、4頁
100円
ご好評につき完売しました。
→pdf版公開中!
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