江戸からの船が木更津に到着したところである。遠浅であるため船は接岸できず、乗客は船を降りて歩いて浜へ渡らなければならない。広重も二回の房総旅行の際に、江戸橋から船に乗って木更津に入っており、このように海を歩いたのであろう。
※木更津(千葉県木更津市)
…木更津湊は、江戸湾(東京湾)の湊で、江戸時代、上総国や安房国の物資を江戸に運ぶ集積地として賑わっていた。17世紀初めの大阪の陣で、木更津の水主(かこ)が活躍したため、年貢米の輸送や江戸の木更津河岸の占有権、旅客の乗船権といった特権を獲得したと伝えられている。19世紀半ばの木更津湊には、年貢米や薪類、旅客等を運ぶ五大力船(木更津船)が29艘、海産物を運ぶ押送(おしおくり)船が15艘あったという。本図は五大力船を手前に富士を望む。
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