青山の富士見坂は、その名のとおり丹沢山系の上に堂々たる富士が見える。かなり遠い視点をとった構図で、建物や人物に比して富士や杉が非常に大きく、覆いかぶさるような迫力である。かつては江戸の町でもこれほどの存在感をもって富士が見えたのであろうか。
※青山(東京港区、渋谷区)
…赤坂西方の台地に広がる青山は、江戸時代初めより、郡上八幡藩4万8千石青山家の下屋敷が置かれたため、地名が付いた。地内を江戸と相模・駿河両国を結ぶ矢倉沢往還が通り、相模国大山参詣の信者たちの往来によって賑わった。本図は、矢倉沢往還にそって富士を望む。街道右側の長屋風の建物は淀藩10万2千石稲葉家の下屋敷、左側の柵は妙祐寺境内、奥の町屋は渋谷宮増町か。宮増町には街道沿いの茶屋などがあり、渋谷川(赤羽川)流域に下る宮増坂は富士見坂と呼ばれた。
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