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紫雲を従えた富士と大山が見守る横浜、野毛の海岸。半島状の干潟に沿って、左側の船は漁村に帰っていくところ、右側の船はこれから沖に向かうところである。広重『富士見百図』には、船上から望む図も収められている。鄙びた漁村であった横浜の開港直前の情景である。
※野毛山(神奈川県横浜市)
…野毛山は、袖ヶ浦(現在は埋立地)と州乾湊(同)との間にある、江戸湾(東京湾)に臨んだ丘陵。東海道神奈川宿と安政6年(1859)に海外貿易の開港場となった横浜村との中間にあり、横浜開港と同時に神奈川奉行所が置かれた。州乾湊の対岸の砂州には、まだ一漁村にすぎなかった横浜村、湊の奥には野毛浦がある。野毛浦は御用引船10艘、川役茶船30艘を持ち、17世紀初頭には大阪の陣の水主(かこ)役を勤めた。奥の左手の山は丹沢山地の大山。 |