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インデックス>富士山>歌川広重 冨士三十六景

富士山


博物館資料のなかの『富士山』

歌川広重 冨士三十六景

25:東海堂左り不二(とうかいどうひだりふじ)

東海堂左り不二
東海道を京に向かって進むと、それまで右に見えていた富士が、吉原宿のあたりで大きく道が曲がるために左から姿を現す。当時の人々はこれを「左富士」と呼んで面白がった。僧形の男は左富士に気づいて立ち止まって見上げている。道沿いの田圃では土地の人が田植えにいそしんでいる。『武相名所旅絵日記』のスケッチには、道と完全に垂直に立ち、松の間から富士を垣間見る図があり、さらに『富士見百図』は、そのスケッチをもとにした図が収められている。

※左富士(静岡県富士市)
…東海道の吉原宿は、本来海岸沿いにあったが、大風や水害により二度の移転を経て北上し、天和2年(1682)に現在地に定められた。宿場の東、和田川付近で東海道がS字に北上する地点が、左富士の名所として知られていた。

 

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