プロローグ 古代甲斐における仏教の萌芽 |
国分寺の建立以前から甲斐国に仏教が伝来し、建立に至る下地があったことを、寺本廃寺などから発掘された仏教に関わる遺物の展示を通して紹介します。 |
第一章 甲斐国分寺の創建 |
甲斐国分寺は聖武天皇の命を受けて8世紀ごろに創建されました。本章では、近年の発掘調査を踏まえ、瓦の製作方法や工程、形態変遷、また瓦窯など制作場などの注目し、甲斐国分寺の創建の過程と姿および国分尼寺との関係、鎮護国家の寺院としての国分寺の役割を紹介します。 |
鬼瓦
8世紀
笛吹市教育委員会蔵 |
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軒丸瓦
8世紀
護国山国分寺蔵 |
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「金寺」墨書土器(部分)
8〜9世紀
笛吹市教育委員会蔵 |
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「法寺」墨書土器(部分)
9世紀
笛吹市教育委員会蔵 |
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第二章 甲斐国分寺の再興と薬師信仰 |
国分寺は建長7年(1255)の兵火により焼失し、その後、戦国期に武田信玄により再興されました。再興時に金堂跡に建てられた薬師堂からは、江戸時代には薬師信仰を通じた国分寺と庶民との関係をうかがうことができます。本章では国分寺と地域との関係の深まりについて紹介します。 |
武田勝頼判物
天正4年(1576)
護国山国分寺蔵 |
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薬師経石
文政10年(1827)
護国山国分寺蔵
写真提供:笛吹市教育委員会 |
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薬師経石當
文政10年(1827)
護国山国分寺蔵
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第三章 史跡甲斐国分寺址への道のり |
国分寺は大正11年(1922)に宮内省から御由緒寺として門跡待遇をうけました。また寺域は内務省から史跡に指定され、現在まで保存され続けています。本章では国史跡へ至る経緯と史跡を支えた地域との関係について紹介します。 |
写真「国分寺七重塔礎石」
(出典 水上文淵『史蹟名勝記念物一』)
大正12年(1923)頃
山梨県立博物館蔵
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木札「史蹟国分寺保存會」
大正時代以降
護国山国分寺蔵
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エピローグ 国史跡としてのいま |
国分寺は天皇家との関係が深い御由緒寺とされましたが、戦時中の金属供出により梵鐘が失われます。エピローグは梵鐘の再建や史跡の発掘調査、史跡整備、地域活動など、戦後から現在に行われた事業について紹介します。 |
史蹟甲斐国分寺址標柱 |
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