■シンボル展
No.011
「米キタ」「アスヤル」
―明治四十年の大水害から百年―
調査日誌
北海道編
4.下山梨【ソータキベツ】 その1
現在の豊浦町山梨(訪問日:平成19年7月30日)
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1.山梨への道
ここは山梨県ではありません、豊浦町山梨地区へ向かう道の途中、右のような標識がありました。
2.入植当初の耕地
ソータキベツに入植した人々は、このあたりを開拓して耕地を広げました。羊蹄山を望むことができる、現在では広大な畑地ですが、これは昭和30年代の整備によるもので、当初は起伏の多い地形で、開拓にも相当な苦労があったのでしょう。
3.山梨小学校
畑地を壮滝別川の方へ降りると、山梨地区の集落になり、山梨小学校が見えます。この学校は、入植してきた山梨の人々が、子どもの教育のため、明治42年に下山梨教育所を設立したことに始まります。
今年の3月に惜しまれながら閉校しました。
4.開拓五十年記念碑
校内には、山梨地区の開拓50年を記念する碑が建てられています。昭和33年11月に建てられました。
5.山梨小学校のステンドグラス
小学校の入口には、山梨県をかたどったステンドグラスがあります。富士山・富士五湖・八ヶ岳・富士川・葡萄などが見えます。
6.山梨神社
この地区の調査には、町の教育委員会の方に加え、移住3世の網野さん(写真右の方)にご案内いただきました。山梨神社は、この地区の開拓30周年を記念して創建されました。
7.開拓二十年記念碑
神社の境内には、開拓二十周年の記念碑があります。この碑には、武田菱も刻まれており、山梨県とのつながりを改めて感じました。
8.山梨神社から羊蹄山を望む
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