資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
足半草鞋(模造品) |
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山梨県立博物館 |
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富士川水運の船頭は、かかとのない草鞋を履いて重い船を引っ張っていた。 |
鰍沢河岸跡の出土遺物 |
江戸〜明治時代 |
山梨県立考古博物館 |
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平成12年(2000)から16年に、山梨県教育委員会が鰍沢河岸跡の発掘調査を行い、江戸時代から明治・大正時代の河岸の人々の生活や交易を示すものが数多く発見されている。これらの資料は、水運の港(河岸)として栄えた鰍沢の様子を伝える。 |
鰍沢河岸跡出土マグロ骨 |
明治時代 |
山梨県立考古博物館 |
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富士川水運の拠点であった鰍沢河岸跡からは多数の魚骨が出土している。中でももっとも多かったのがマグロであり、幕末から明治頃にかけて静岡から多数のマグロが運ばれていたことがわかる。 |
鰍沢遺跡 鰍沢川岸出土ガラス瓶 |
明治〜大正時代 |
山梨県立考古博物館 |
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鰍沢河岸跡からは、明治時代から昭和初期までのガラス瓶が数多く出土している。これらの中には、頭痛薬や食あたりの薬、点眼用の目薬などの薬容器、美顔水、椿油、クリーム、おしろいなどの化粧品用瓶、金平糖やミカン水を入れた駄菓子用瓶、ほ乳瓶、ワインやビールなどの容器など、さまざまなガラス瓶が見られ、当時の鰍沢河岸の人々の日常生活がよみがえってきそうな気がする。 |
鰍沢河岸出土泥面子 |
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山梨県立考古博物館 |
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泥面子は、江戸時代の玩具であるが、鰍沢河岸では建物の基礎部分から出土している。おそらく「家内安全」「商売繁盛」などを願い埋められたものと考えられている。 |
富士川水運関係会社印鑑
(上野晴郎氏収集資料) |
明治時代 |
山梨県立博物館 |
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近代に活躍した富士川水運関係会社の印鑑類。明治7年(1874)に富士川運輸会社が設立され、富士川舟運によって山梨県の物流の幹線としての役割を担った。その後、明治36年(1903)6月に中央線が甲府まで開業すると、その物流の主役の座から降り、大正11年(1922)に同社は解散、昭和3年(1928)に富士身延鉄道(現在のJR身延線)が甲府まで開業したことにより、富士川舟運の命脈は終わりを告げた。 |
鰍沢御蔵駆付人足札(甲州文庫) |
江戸時代 |
個人蔵 |
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鰍沢の御蔵に緊急事態があった際に駆け付ける人足の身分証明の札。 |