資料名 |
時代 |
所有 |
指定 |
資料解説 |
板垣退助写真(大木家文書) |
近代 |
山梨県立博物館 |
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慶応4年(1868)頃の板垣退助の写真を印刷したもの。のちに自由民権運動の旗手としてその中心に立つ板垣の、30代初めころの画像である。
板垣退助の家系は、武田氏家臣板垣氏を先祖としていたという。 |
覚(柏尾の戦いにおける土佐藩兵の分捕品につき、太田家文書) |
慶応4年(1868) |
山梨県立博物館 |
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土佐藩軍が家老の板垣退助に対し、幕府軍の鎮撫隊から分捕った品物を報告した書状。大砲や長持などに並んで記された高張提灯・手提灯には、「山丸誠」の印があったと絵入りで紹介しており、鎮撫隊に新撰組の面々が参加していたことをうかがわせる。 |
柏尾の戦(若尾資料) |
大正6年(1917)写) |
山梨県立博物館 |
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甲斐出身で旧幕府軍の甲陽鎮撫隊に加わった結城有無之助(無二三)が、後年に柏尾の戦いを回想して語った内容の筆記録。有無之助は江戸で大砲組に入っていたといい、鎮撫隊でも地理嚮導兼大砲差図役を任された。記録には戦闘の経過を描いた図も挿入され、新政府軍が大砲で鎮撫隊や会津兵を激しく攻撃する様子がみえる。 |
砲弾 |
江戸時代(19世紀) |
山梨県立博物館 |
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柏尾の戦いに際し、幕府軍が新政府軍に打ち込んだ不発弾であるという。1859年にフランスで開発された野戦砲「四斤山砲」の砲弾と同形である。日本では慶応2年(1866)の第二次長州征討に際して幕府陸軍が使用したことが知られており、明治に至るまで陸軍の主力装備の1つであった。 |
甲州勝沼駅ニ於テ近藤勇驍勇之図(複製) |
原本
慶応4年
(1868) |
山梨県立博物館 |
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月岡芳年による浮世絵。慶応4年、板垣退助らの新政府軍と近藤勇らの幕府軍が柏尾(甲州市)で衝突した勝沼の戦い(柏尾の戦い)の様子を描く。 |
天保騒動絵図(複製) |
原本
江戸時代 |
山梨県立博物館 |
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天保7年(1836)8月に発生した天保郡内騒動の進行のようすを描いた絵図。 |
近世侠客有名鑑(複製) |
原本
明治時代 |
山梨県立博物館 |
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明治時代中頃の関東の侠客について、相撲の番付の形式をとり、ランキング形式で示したもの。甲斐国からは、著名な黒駒勝蔵のほか、武井安五郎、身延半五郎、祐天仙之助などの名前が見える。 |