展示コーナー |
旧資料
(〜8/20) |
展示替え資料(8/23〜) |
時代 |
資料解説 |
水に取り組む |
市川・鰍沢方面河川氾濫絵図 |
信玄堤絵図(しんげんづつみえず) |
江戸時代 |
釜無川(かまなしがわ)と御勅使川(みだいがわ)の堤防(ていぼう)の様子を描(えが)いた地図。
(千野家資料) |
武田家朱印状 |
徳川家康奉行連署状(とくがわいえやすぶぎょうれんしょじょう) |
江戸時代、慶長6年(1601) |
山神郷(中央市)に大洪水があったことを示す文書。
(三井家資料) |
山に生きる |
焼畑農事日記 |
焼畑農事日記(頁替え)(やきはたのうじにっき) |
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里にくらす |
五体字頭 |
小野篁歌字尽(おののたかむらうたじづくし) |
江戸時代 |
江戸時代の漢字教科書。(甲州文庫) |
四郡惣高帳 |
字指(じさし) |
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師が弟子に対して本の文字を指し示す際に用いる棒(ぼう)。(甲州文庫) |
早見塵劫記 |
早割塵功記大成(はやわりじんこうきたいせい) |
江戸時代 |
江戸時代の計算問題集。
(大木家資料) |
城下町の賑わい |
甲府買物独案内 |
小田原家ちらし(おだわらやちらし) |
江戸時代 |
魚町二丁目にて乾物屋・仕出屋を営んでいた小田原屋の宣伝ちらし。(上野晴朗氏収集資料) |
印伝屋ちらし |
甲府上府中組火消法被并纏図(こうふかみふちゅうぐみひけしはっぴならびにまといのず) |
江戸時代 |
火消たちの着ていた法被と火消組の纏(まとい)の図。
(甲州文庫) |
甲州道中記 |
柳町家数間数改帳(やなぎまちやかずまかずあらためちょう) |
江戸時代、享和3年(1803) |
柳町における各家の敷地規模を記録したもの。(甲州文庫) |
変貌する景観 |
離縁状 |
離縁状(りえんじょう) |
江戸時代 |
これまで展示していたものとは別の離縁状(渡邉家資料、大木家資料) |
甲府勧業場図(峡中広告集) |
勧業場称呼の達(かんぎょうじょうしょうこのたっし) |
明治時代、明治7年(1874) |
当時でも有数の製糸工場であった甲府勧業場の呼称に関する通達。(甲州文庫) |
甲斐を駆ける武士たち |
小笠原流礼法書(婚礼) |
小笠原流礼法書(婚礼)(頁替え)(おがさわらりゅうれいほうしょ) |
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小笠原流兵法書(頁替え) |
小笠原流兵法書(頁替え)(おがさわらりゅうれいほうしょ) |
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道がつなぐ出会い |
富士図 英一蝶 筆 (ふじず はなぶさいっちょう ひつ) |
富士山諸人参詣之図 (ふじさんしょじんさんけいのず) |
江戸時代
19世紀 |
物価の上下や流行のはやりすたりを、富士講の登山、下山に見立てたもの。参詣者たちの笠に品目が記されている。米、酒、煙草、寿司などは下がり、八百屋、茶店、噺家、渡船などが上がってる。 |
富岳図 池大雅筆(ふがくず いけのたいがひつ) |
江戸時代
18世紀中頃 |
日本文人画大成者である池大雅(1723〜76)は、26歳のときに初めて富士登山をして以来、少なくとも三度登山をしている。また、富士、白山、立山の三霊山を踏破し、自ら「三岳道者」と名乗った。特に親友、高芙蓉(甲斐国の出身)、韓天寿とともに旅した宝暦10年(1760)の「三岳紀行」が有名。「百富士」を描こうと企画したが、本資料はそのひとつ、甲斐国から見た富士の眺望で、大雅40歳頃の作品である。 |
大日本富士山絶頂之図 歌川貞秀 筆(だいにほんふじさんぜっちょうのず うたがわさだひで ひつ) |
滑稽富士詣 歌川芳虎 筆(こっけいふじもうで うたがわよしとら ひつ) |
江戸時代、万延元年(1860) |
御縁年の富士参詣の旅でおこった滑稽話や失敗談を著した十冊の挿絵入り版本。滑稽本作家、仮名垣魯文(かながきろぶん)の出世作で、歌川芳虎が挿絵を描いている。(甲州文庫) |
富士図 狩野宗信筆(ふじず かのうむねのぶひつ) |
江戸時代
18世紀 |
江戸幕府の画壇を制した狩野派の典型的な富士図。柔らかな筆致で富士の稜線と山麗の景観が描かれている。狩野宗信を名乗る画家は複数あり、特定できない。 |
百富士 河村岷雪 筆(ひゃくふじ かわむらみんせつ ひつ)
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江戸時代、明和4年(1767) |
河村岷雪が、各地から見た富士を百図に描き、俳句を添えた版本。ここに見える構図や発想は、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」や歌川広重の「冨士三十六景」にも影響を与えている。
(甲州文庫) |
人形 |
人形(種類替え) |
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羽柴秀勝印判状(右左口)
石櫃 |
右左口村絵図(うばぐちむらえず) |
江戸時代
天保13年(1842) |
中道往還が通る右左口(うばぐち)村を描いた絵図。南を上とし、峠の麓に、徳川家康を祀る東照宮と宿(しゅく)の家並みがある。宿の北で街道は甲府方面と市川大門(市川三郷町)方面に分かれており、交通の要衝(ようしょう)であった様子がわかる。(右左口区有文書及び関連資料一括 甲府市 宿区蔵 山梨県指定文化財) |
江戸文化の往来 |
川口村絵図(かわぐちむらえず) |
白野村絵図(しらのむらえず) |
江戸時代、文化3年(1806) |
『甲斐国志』編纂の際に提出された白野村の絵図。村の南の笹子川に沿って甲州道中が通る。白野宿は、江戸から甲府盆地に入る道中の難所、笹子峠を控えた場所にある。村の大部分は大鹿山などの山林で、生活は畑や山林に支えられている。 |
群鹿図屏風 竹邨三陽 筆(ぐんろくずびょうぶ たけむらさんよう ひつ) |
山水図屏風 天龍道人筆(さんすいずびょうぶ てんりゅうどうじんひつ) |
江戸時代
18〜19世紀 |
水墨画水図六枚を押絵貼にした屏風。水景の向こうにそびえる高峰、絶壁の真下の細い山道、遠くを眺める高士。隠棲する人にとっての理想の風景が描かれている。 |
葡萄図 天龍道人筆(ぶどうず てんりゅうどうじんひつ) |
享和元年
1801年 |
得意とした水墨画の葡萄図。葡萄は、西洋でも東洋でも豊穣を表すものとして、さまざまな造形に用いられている。水墨画の葡萄図は、中国、朝鮮においても多く製作された。天龍道人の葡萄図は、墨の濃淡だけで表現した葡萄の粒、筆の勢いにまかせて描く蔓や葉が特徴である。本図は84歳の時の製作。 |
夏山遠望図屏風 竹邨三陽 筆(かざんえんぼうずびょうぶ たけむらさんよう ひつ) |
葡萄図 天龍道人筆(ぶどうず てんりゅうどうじんひつ) |
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