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お正月にちなみ、「おめでたい」、「ありがたい」資料を取り揃えて展示します。年の初めは博物館で招福! |
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【展示資料の紹介】 |
野口小蘋筆 歳寒二雅図扇面(大木コレクション)
のぐちしょうひんひつ さいかんにがずせんめん
大正3年
(1914) 当館蔵
野口小蘋(1847〜1917)は大阪に生まれた。京都に出て日根対山に学ぶ。明治4年上京。明治8年に来甲し、大木家の敷地内に仮寓。明治10年、甲府に醸造所を持つ酒造家の十一屋・野口正章(まさあきら)と結婚。以降、しばしば来甲して作品を残す。のちに華族女学校教授、帝室技芸員を勤めた。
「江戸文化の往来」に展示中
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上杉景勝判物(市河家文書)
うえすぎかげかつはんもつ
室町時代(16世紀) 当館蔵
越後国(新潟県)を治めた上杉景勝が市河長寿麿(勝房)に送った、年頭祝儀に対する返礼。
「甲斐を駆ける武士たち」に展示中
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近世侠客有名鑑
きんせいきょうかくゆうめいかがみ
明治時代 当館蔵
江戸時代の佐渡金銀山における採掘や製錬の様子を描いた絵巻。坑道内で働く金掘人足たちの様子がわかる。
「転換期に向き合う」に展示中 |
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小桜韋威鎧兜・大袖付(楯無鎧)復元品
こざくらがわおどしよろい かぶと・おおそでつき(たてなしよろい)ふくげんひん
当館蔵
平安時代の武将源義光が着用し、その子孫である甲斐源氏・武田家の家宝として伝来したという楯無鎧を制作当時の姿に復元したもの。「御旗・楯無御照覧あれ」と誓ったことには、信玄であっても背いてはならなかったといわれている。実物は国宝。
「甲斐を駆ける武士たち」に展示中
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谷文晁筆 松梅図(大木コレクション)
たにぶんちょうひつ しょうばいず
文化11年(1814) 当館蔵
谷文晁(1763〜1841)は江戸生れ。江戸南画の大成者。円山応挙、狩野探幽とともに「徳川時代の三大家」に数えられる。本作には「甲戌冬月写 文晁」と記され、制作年がわかる。文晁の画風が習熟した中にも放逸さを示す時期であり、その典型を示す。
「江戸文化の往来」に展示中 |
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展示期間
平成24年12月19日(水曜)から平成25年2月18日(月曜)まで
展示場所
常設展示室「江戸文化の往来」、「甲斐を駆ける武士たち」、「転換期に向き合う」ほか
このほか、展示室には多くの資料が展示替えによってお目見えいたします。 新たな展示資料による新たな展示ストーリーをお楽しみください。
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■ 終了したおすすめ資料 |
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かつて山梨には多くの金山が存在し、武田氏の甲州金は江戸時代の貨幣の基になったとされます。
金と貨幣にまつわる様々な資料から「黄金の国」甲斐国の実像に迫ります。 |
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【展示資料の紹介】 |
甲州金(古甲金一朱判)
こうしゅうきん ここうきんいっしゅはん
江戸時代(17世紀) 当館蔵
江戸時代、元禄九年(1696)までに鋳造され、甲斐国内で流通した古甲金の一朱金。甲府四金座の1つ松木家の極印が押されている。
「山に生きる」に展示中
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伊奈忠次 ・大久保長安連署状(部分)
いなただつぐ・おおくぼながやすれんしょじょう
江戸時代初期 当館蔵
江戸幕府代官頭を務めた伊奈忠次・大久保長安が、府中八幡神社神主父子の相続をめぐる相論について、将軍家康の意向を甲斐の代官衆へ伝えた文書。
「戦国からのメッセージ」に展示中
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佐渡金銀山絵巻(部分)
さどきんぎんざんえまき
江戸時代 当館蔵
江戸時代の佐渡金銀山における採掘や製錬の様子を描いた絵巻。坑道内で働く金掘人足たちの様子がわかる。
「山に生きる」に展示中 |
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堀田本七十一番職人歌合(部分)
ほったぼんしちじゅういちばんしょくにんうたあわせ
今から約500年前の「金掘(こがねほり)」の姿を描いたもの金を掘り出す鉄製道具や、ゆり板らしき板など、金掘が使っていた道具類も描かれている。
「変貌する景観」に展示中 |
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《特別出品》
武田信豊書状
たけだのぶとよしょじょう
個人蔵
武田信豊が、信濃国衆木曽義昌へ出した書状。駿河・遠江における戦況について述べるほか、義昌の母が甲斐に来たことを喜び、かわりに三郎次郎(義昌の弟義豊か)が帰国する予定であることを伝えている。
「戦国からのメッセージ」に展示中 |
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展示期間
平成24年10月17日(水曜)から12月17日(月曜)まで
展示場所
常設展示室「山に生きる」、「戦国からのメッセージ」、「変貌する景観」ほか
このほか、展示室には多くの資料が展示替えによってお目見えいたします。 新たな展示資料による新たな展示ストーリーをお楽しみください。
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■ 終了したおすすめ資料 |
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この甲斐国を、多くのひとびとが往来し、記録してきました。
様々な資料にみることができる甲斐国の姿や当時の文化をお楽しみください。 |
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【展示資料の紹介】 |
木喰作 弘法大師坐像
もくじきさく こうぼうだいしざぞう
手に数珠をもつ弘法大師・空海の像。木喰生誕地・丸畑(現南巨摩郡身延町)の「四国堂」に安置されていた。
「道がつなぐ出会い」に展示中 |
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甲州道中図屏風(部分)
こうしゅうどうちゅうずびょうぶ
江戸時代 当館蔵
江戸から甲州道中を経て甲府に至り、さらに富士川沿いに下って身延山を詣で、駿河や箱根を経由して江戸に戻る道筋の景観を描いている。絵巻を屏風にしたてなおしたもの。山梨県指定文化財。
「江戸文化の往来」に展示中
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猿橋模型
さるはしもけい
昭和59年 (1984) 当館蔵
昭和59年に架け替えられた名勝猿橋(大月市)の模型。実際の橋の設計を検証するため製作された。
「道がつなぐ出会い」に展示中 |
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甲府買物独案内
こうふかいものひとりあんない
甲府城下町のタウンガイド。写真は印伝屋上原勇七を紹介している部分。
「城下町の賑わい」に展示中 |
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源平合戦図屏風(部分)
げんぺいかっせんずびょうぶ
江戸時代 当館蔵
源平合戦のうち、甲斐源氏の一族も活躍した一ノ谷合戦(神戸市)の様子を描いた屏風。
「甲斐を駆ける武士たち」に展示中
本ホームページで 高精細画像も公開しています。 |
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■ 終了したおすすめ資料 |
展示期間
平成24年8月22日(水曜)から10月15日(月曜)まで
展示場所
常設展示室「道がつなぐ出会い」、「江戸文化の往来」、「城下町の賑わい」ほか
このほか、展示室には多くの資料が展示替えによってお目見えいたします。 新たな展示資料による新たな展示ストーリーをお楽しみください。
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時代を超えて日本人の心をとらえてきた富士山。
様々な資料の中からあなたの好きな富士山を見つけてみてください。 |
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【展示資料の紹介】 |
富士山諸人参詣之図
ふじさんしょにんさんけいいのず
富士講の一行が富士登山している様子が描かれている。物価の上下や流行のはやりすたりを、富士講の登山・下山に見立てたもの。参詣者たちの笠に品目が記されている。米、酒、煙草、寿司などは下がり、八百屋、茶店、噺家、渡船などが上がっている。
「道がつなぐ出会い」に展示中 |
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富士山北口全図鎮火大祭
ふじさんきたぐちぜんずちんかたいさい
明治期の「吉田の火祭り」を描いた浮世絵。右上に富士の峰、北に北口本宮富士浅間神社の俯瞰図、下には金鳥居から神社の大鳥居に至るまでの参道に、大松明が灯され、御輿の行列が進む様子を展開している。
「道がつなぐ出会い」に展示中
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富士講経巻
ふじこうきょうかん
初期富士講に関する資料。富士山の麓に、富士講の開祖角行が修行の場とした人穴が描かれている。
「戦国からのメッセージ」に展示中 |
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石櫃(右左口区有文書及び関連資料一括)
いしびつ (うばぐちくゆうもんじょおよびかんれんしりょういっかつ)
徳川家康朱印状と羽柴秀勝朱印状を納めていた石櫃。この2枚の古文書は、江戸時代に右左口商人が持っていた特権の根拠として大切に保管されていた。(山梨県指定文化財)。
「道がつなぐ出会い」に展示中
徳川家康朱印状も同時展示中! |
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富士山牛玉
ふじさんごおう
山頂に来迎する阿弥陀三尊を表した絵札。
「信仰の足跡」に展示中 |
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展示期間
平成24年6月20日(水曜)から8月20日(月曜)まで
展示場所
常設展示室「道がつなぐ出会い」、「信仰の足跡」、 「戦国からのメッセージ」ほか
このほか、展示室には多くの資料が展示替えによってお目見えいたします。 新たな展示資料による新たな展示ストーリーをお楽しみください。
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■ 終了した資料 |
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甲斐の国は名馬の産地。駿馬と名高い「甲斐の黒駒」や武田の騎馬隊など、馬にまつわる伝説や歴史が育まれてきました。
甲斐国の歴史の名脇役「馬」に注目して展示をお楽しみください。 |
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【展示資料の紹介】 |
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曽我物語図屏風
右隻「富士巻狩図」
そがものがたりずびょうぶ うせき ふじのまきがりず
曽我兄弟が父の仇討ちをする物語を題材とした屏風絵。右隻は源頼朝が行った富士の巻狩で、仇討ちに失敗する場面。巻狩の躍動感が展開している。
「江戸文化の往来」に展示中
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飾馬図
かざりうまず
装飾馬具の図鑑。工芸的な鞍や鐙などで飾られた馬8頭が描かれ、それぞれに鞍の名称が記されている。
「江戸文化の往来」に展示中 |
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朝気遺跡出土馬骨
あさけいせきしゅつどばこつ
全国的にも珍しい事例である平安時代の馬の全身骨格のうち、上腕骨の部分。長さを測ることで、体高を推定することができる。この個体は110cm程度の小型馬であった。
「研究の現場」 に展示中 |
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「おかぶと」の木型(甲州文庫)
おかぶとのきがた
五月五日の端午の節句に飾った「おかぶと」と呼ばれる人形の木型。大型であるため、木型ではなく雛問屋の看板である可能性もある。「おかぶと」は山梨独自の節句飾りであり、武田信玄を象ったものなどがつくられたが、明治時代の終わり頃に消滅した。
「甲斐を駆ける武士たち」 に展示中 |
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展示期間
平成24年4月18日(水曜)から6月18日(月曜)まで
展示場所
常設展示室「甲斐を駆ける武士たち」、「道がつなぐ出会い」、「江戸文化の往来」ほか
このほか、展示室には多くの資料が展示替えによってお目見えいたします。 新たな展示資料による新たな展示ストーリーをお楽しみください。
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山梨の春は桜や桃が咲き誇り、甲府盆地を花の色で彩ります。
春はまた、戦国時代を代表する武将 武田信玄にゆかりのある季節です。元亀4年(1573)4月12日に亡くなった信玄をしのんで、山梨では様々なお祭りやイベントが催されます。
県立博物館でも、毎年恒例の武田特集で信玄ゆかりの資料を数多く展示しております。今年はさらに、山梨の春を彩る桃や桜に関する資料も展示しています。ぜひ博物館で山梨の春を満喫しながら、武田信玄と戦国の世に思いをはせてください。 |
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【展示資料の紹介】 |
小桜韋威鎧兜・大袖付(楯無鎧)復元品
こざくらがわおどしよろい かぶと・おおそでつき(たてなしよろい)ふくげんひん
平安時代の武将源義光が着用し、その子孫である甲斐源氏・武田家の家宝として伝来したという楯無鎧を制作当時の姿に復元したもの。「御旗・楯無御照覧あれ」と誓ったことには、信玄であっても背いてはならなかったといわれている。実物は国宝。
「甲斐を駆ける武士たち」に展示中
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土佐光起筆 武田信玄・上杉謙信像
とさみつおきひつ たけだしんげん・うえすぎけんしんぞう
朝廷の絵所預を勤めた土佐光起が、平戸(長崎県)藩主松浦鎮信の依頼で描いた武田信玄・上杉謙信の肖像画。白熊(はくま)の兜を被り、赤い法衣(ほうえ)と袈裟(けさ)を着た信玄像としては、最も古い時期に作成された。
「甲斐を駆ける武士たち」に展示中
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武田晴信書状(市河家文書)
たけだはるのぶしょじょう(いちかわけもんじょ)
越後国(新潟県)の長尾景虎(上杉謙信)と甲斐国(山梨県)の武田晴信(信玄)が争った第3回川中島合戦に際して、北信濃(長野県)を守った市河藤若への援軍について伝えた晴信の書状。晴信の使者として山本菅助の名が見える。
「甲斐を駆ける武士たち」に展示中
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歌川国芳筆
武田上杉川中嶋大合戦図
うたがわくによしひつ たけだうえすぎかわなかじまだいかっせんず
北信濃の川中島の領有をめぐって武田軍と上杉軍が闘った川中島の合戦。
江戸時代末期には、この戦いを題材にした錦絵が、主に歌川派によってたくさん作られた。
有名な一騎打ちの場面は、武田方の甲陽軍艦上杉方の北越軍記など、出典によって描かれ方が異なる。
「江戸文化の往来」で展示中
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信州和田塩尻峠合戦図 (甲州文庫)
しんしゅうわだしおじりとうげかっせんず
天正10年(1582)、武田勝頼の前方部隊と木曽義昌が諏訪湖畔の塩尻峠・和田峠(長野県)で争った合戦を描いた錦絵。諏訪湖の先には富士山と八ヶ岳が描かれている。歌川貞秀の筆。
「道がつなぐ出会い」に展示中 |
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ニホンオオカミ頭骨
にほんおおかみとうこつ
個人蔵
笛吹市御坂町の個人宅に伝わった。鼻を中心に皮や筋肉がミイラ状に残る点が珍しい。憑き物落としに用いる風習が伝わった結果残されたと考えられる。
「道がつなぐ出会い」に展示中
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神犬御札
しんけんおふだ
個人蔵
関東山地周辺の秩父地方、奥多摩地方に御犬様(オオカミ)を御眷属(神の使い)とする神社が多く分布する。御眷属信仰は山間部における害獣除けから広まり、江戸市中に広がると火事や泥棒除けにもご利益ありとされた。
「道がつなぐ出会い」に展示中
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テーマ
今回の学芸員のおすすめ資料は、<山梨の春は、桃と桜と信玄公>です。
春のお出かけや春休みは、かいじあむでお楽しみください。
展示期間
平成24年2月22日(水曜)から4月16日(月曜)まで
展示場所
常設展示室「甲斐を駆ける武士たち」、「道がつなぐ出会い」、「江戸文化の往来」ほか
このほか、展示室には武田信玄関係を中心に、多くの資料が展示替えによってお目見えいたします。 新たな展示資料による新たな展示ストーリーをお楽しみください。
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